1. 1518! イチゴーイチハチ! 第4巻
ビッグコミックスピリッツで月刊連載されている漫画、「1518!(イチゴーイチハチ)」。私がいま一番新刊発売を楽しみにしている漫画で、特に3巻は近年刊行された漫画単行本の中でも黄金の1冊といえる出来だったと思います。3巻の感想はこちら。
そしてこの4巻、相変わらず高クオリティを保っているのですが、やや心配な要素が出てきた巻でもありました。「諦めた夢に折り合いをつける」という当初の軸が概ね解決してからの展開、連載開始当初の問題設定をひとまず消化したここからが見せ場だと思うのですが......。
2. あらすじ
波乱の生徒総会をなんとか乗り越えた生徒会執行部一同。受験生である3年生の負担を減らすべく、丸山幸と烏谷公志郎の両1年生が少しずつ3年生の仕事を代替していくことに。
その一環として会長が烏谷を派遣したのは応援部会。ダンス部と吹奏楽部を従えた応援委員会から成り、目下の活動目標は甲子園予選の応援。松武(※)は野球強豪校でもあるのだ。
いままで「応援される」立場だった烏谷。それを「応援する側」に回すのも会長なりの気遣い。彼女もまた野球を挫折し、応援委員を経て生徒会長になったのだった。
その話を聞き、なにかを感じる烏谷。自分は怪我で諦めた、でも、会長は......。
「野球を嫌いになってないといいけど」、そう語る烏谷に、ひょんなことから「最後の投球」をする機会が訪れて......。
※物語の舞台となる「私立松栢学院大付属武蔵第一高校」の略。「文・武・楽」がモットーで、行事が盛ん。
3. 感想
この漫画の良いところの一つとして、登場人物の役回りが巧みに入れ替わるところがあると思います。
普通の漫画では、「明るくて周囲を励ますキャラ」、「冷静沈着で物事をよく観察しているキャラ」などと役回りが固まってしまっていて、登場人物たちの周りでは様々な出来事が起こっても、まるでアルゴリズムが設定されているように定型的な反応しか返さない場合が多く、近年では「キャラ立ちしている」というフレーズのもとにそれが肯定的にさえ捉えられるようになっています。
たまに「そのキャラの違う側面を垣間見るエピソード」のような話があったとしても、普段から極端な振る舞いをしているため、さらに極端な逆側(明るく振舞うのは両親が昔に事故死して寂しい幼少期を過ごしたから、虐待されていたから、など)を出さざるを得なくなり、現実ではあまり見られないケースがほとんどの漫画に採用されてしまう現象が起きています。
その点、この「1518!」は登場人物の性格や背景が非常にバランス良く練られています。誰もに明るい面と暗い面、強気な面と弱気な面が少しずつあって、その「少し」の微妙な味付けの差で個性を出すことに成功しているため、非常に迫真的で繊細な表裏の入れ替わりが行われ、読んでいて「漫画だな」と感じることが非常に少ないです。ドキュメンタリーを見ているような展開でいて、そのうえ、フィクションでしかできない構成で物語を生み出す手法は脱帽としか言いようがありません。
その典型がこの4巻における会長の立場。かつて烏谷のチームにノックアウトされたのを機に男子と一緒に野球をすることを諦め、かといって「男子と混じってやっている」がプライドだったために女子競技を始めるのにも抵抗がある。自分はなんの為に生きているのか。そんな憔悴の中で入学した会長が松武の友人や雰囲気に救われていった過程を、同じく野球を泣く泣く諦めた烏谷に辿らせようとする構図はいわば、会長=救う側、烏谷=救われる側、となっており、前巻までは両者のこの立場が一貫していました。
しかし、会長も3年生。夏を前に進路を決めるべき時期。もう一生、野球をやらないのか。そんな時に入学してきた烏谷。自分はやろうと思えばやれるのに野球を手放した。烏谷は怪我で野球から強制的に引き離された。
本巻のクライマックス、烏谷の野球への想いに触発され、もう一回野球を好きになっていく、あるいは、野球への想いにあらためて気づく会長の姿には熱いものがこみあげてきます。いままで救われてきた烏谷が逆に会長を救う。鮮やかに構図を逆転させ、まるで上質なミステリーのように、「予想できたはずなのに驚かされ、感動が胸を衝く」展開になっています。
また、幸と烏谷の恋愛展開も少しずつ進んでいきます。幸にとって、マウンドの上の憧れの存在だった烏谷。野球を諦めて生徒会に入ってきた当初、「前とは別人で、ちょっとがっかり」と言っていた幸ですが、「遠くから見るんじゃなくて、いっしょに歩くなら今の烏谷くんかなあ」と評価が変わります。単なる「憧れ」の恋から、現実的な恋愛対象に移っていく様子は確かにベタではありますが、ここで重要なのは、「生徒会役員としてのきらきら」を烏谷が持ち始めたということではないでしょうか。きっと、ただ身近になっただけでは幸の恋も持続/再生しなかったでしょう。同じ生徒会執行部のメンバーとしても魅力的だからこそ、「いっしょに歩くなら」という言葉が出てくるわけです。一目惚れはロマンチックですが、いざ付き合うとなると、「毎日(とはいかずともしばしば)お喋りをする相手」という立場になります。ただ見ているだけではなく、そこで気が合うか、お互い負担にならないかが大事なのであって、それを少しずつ理解していくのも王道ながらいいですね。
しかも、この漫画はここでも「表現」を見せてきます。烏谷について幸に語らせるのは上に挙げた一つの台詞だけ。この4巻では宇賀神(うがじ)という1年生が新登場します。リトルリーグ時代における烏谷のチームメイトで、シニアには入らず中学校の野球部に所属していたため烏谷の事情をよく知らないという設定。リトルリーグでは万年補欠だったため、「憧れの存在としての烏谷をただ見るだけ」という経験を幸と共有しています。その宇賀神が、かつて「オレオレ」系のエースだった烏谷がすっかり生徒会で裏方を担うことを楽しんでいるのを見て意外に感じ、「いっしょに歩くなら......」という幸の台詞に納得するという描写を通じて幸の気持ちを代弁させます。宇賀神の視点を通じ、柔らかく変わっていく烏谷を温かな驚きとともに肯定的に捉え、第三者的にも魅力的な人物として描くことで幸の新しい恋心に説得力を持たせています。本人ではなく、第三者の目線を入れることで、「恋に恋しているのではない、これは本当の気持ちなんだ」という青春漫画にとって重要な要素が効果的に描かれています。「今は宇賀神のほうがすげえよ。松武の特進受かってたんだ」。かつてエースと補欠だった二人の関係の逆転を、烏谷があっさりと気持ちよく認める場面、こうやって烏谷の変化を描くところもまた巧妙です。
これほど褒めちぎっておきながら星3つなのですが、それにはもちろん理由があります。上でも述べた通り、テンプレキャラを出さず(あるいは、テンプレを弱めて使い)、人間のリアルな質感を出していることはこの漫画の最大の魅力の一つです。しかし、ここで新しく出てきたもう一人の登場人物、日野江碧(ひのえ みどり)が引っかかります。応援部会の部長なのですが、1年生のときに会長に声をかけ、応援委員に誘ったという設定です。女性で応援部会の部長というわけで俗にいう(旧弊な呼び方かもしれませんが)「男勝り」な性格なのはある程度妥当といえるでしょう。しかし、一人称が「オレ」はやりすぎです。回想シーンにおける1年生の時の会長との会話はまるで少年誌掲載のバトル漫画のようなやりとりで興醒めです。女子高生の会話は、たとえ「男勝り」同士でもこうはならないでしょう。今後、話をもたせるためにこういった登場人物が増えてくるようであれば悲しいものです。星4つでもよかったところ、このような点を考慮して星を一つ引きました。
ところで、タイトルの「1518!」について、この4巻まででもたくさんの意味付けがなされているのは面白いですね。単純に烏谷の背番号が15番で会長の背番号が18番であり、この二人の野球への関わり方から物語が始まるという意味もあるのでしょうが、高校の三年間はそのまま15歳から18歳までの三年間ですし、当然、高校入学時の幸と烏谷の年齢は15歳、会長は18歳です。また本巻では、シニアのチームの監督が礼節に厳しい人物だったため、烏谷がどんなに活躍しても背番号が15番だったというエピソードが披露されます。高校野球までは普通、「1」がエースナンバーであり、「15」は補欠です。実力があったのに精神的に欠けていたものがあり、最後は大人の言うことを無視して無理に練習を重ねて再起不能になった烏谷。「15」は未熟の象徴としても描かれています。対して、高校野球までならば「18」も補欠ですが、プロ野球ではエースナンバーとして扱われることが多い背番号。これを会長が背負っているのも面白い対比です。
また、感想を書いていて思うのですが、事実上、烏谷と会長の物語になっていて、一応、主人公であるはずの幸があまり活躍していないのはどうなのでしょう。青春群像劇で全員主人公と見ることも十分可能な作品であり、第3巻の感想でも述べたように、全員主人公ポテンシャルもってる登場人物たちがある程度バランスよく活躍する稀有な作品であることも魅力なので良いといえば良いのでしょうが。しかし、烏谷と会長は歳の割に複雑な経験をしているだけあって精神年齢高いですよね。そのうち幸が「烏谷くんが怪我してなかったらこうやって出会わなかったかも」と微妙な発言をして、烏谷が大人の対応で素敵に返す場面なども見られるのではないでしょうか。
「野球」の季節が終わり、5巻では否応にも新展開が予想されますが、期待はかなり高いので、作者の相田さんには頑張って欲しいものです。
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